憂愁の帰り道

WT/三輪粧
崩れた廃屋の奥にコスモスが揺れている。どこから種が飛んできたのだろうか。この辺り一帯は立派なコスモス畑になっているようだ。橙色の空の下で姉と手を繋いで歩いた頃を思い出した。川辺に揺れるコスモスを眺めている姉に俺は何度もトンボを捕まえてくれとせがんだ。姉はトンボを捕まえるのが上手くて、俺はそれが羨ましくて仕方なかった。姉の細く白い指先につぃと引き寄せられるように見事に止まるトンボを眺めながら、少し複雑な気持ちになったものだ。
「三輪さ~ん!開発室から連絡ありました?わあ~コスモスだ!」
感傷に浸っていると葦尾粧子の騒々しい声が聞こえた。姉との思い出が瞬時に霧散する。最悪だ。
「こんなとこ知ってたんなら早く教えてくださいよ」
「さっき偶然見つけただけだ」
「ほんとですか?」
恨めしく思いながらひょこりと跳ねるポニーテールを睨んだが、後ろからの視線にこいつが気づくはずもなく。嬉しそうにコスモスを眺めている姿にため息をついた。
「本部からの連絡はまだだ」
「データ解析遅いですね。早く帰りたいのに」
「さっきマップデータを転送したばかりだろ」
口を尖らせながら文句を言う葦尾にため息をひとつこぼす。緊張感の欠片もない。俺たちは、三門市から離れた遠方の街でトリオン兵らしきものを見かけたという情報を耳にして、それが真実であるかどうかを調べに来ていた。もし事実であれば大問題だ。三門市以外にゲートが開いたならボーダーの規模を更に拡大し、防衛のための戦闘人員を増やさなければ防衛が追いつかない。そのための調査だ。大々的に調査をしたいところではあるが、もし敵が既に多数潜んでいる状況であれば無駄に敵を刺激して市民に被害が及ぶ可能性がある。この街は三門市のように防衛の体制が万全に整った状態ではない。相手の戦力や出方が分からないため、少数精鋭で調査に当たるということになり、俺と葦尾が何故か抜擢されたというわけだ。そのことをきちんと理解出来ていないから気の抜けた受け答えが出来るのだろう。実際に来て入念に調べてみるもトリオン兵の影すらもなく、拍子抜けしたというのも気が抜けている理由ではありそうだが。どちらにしても敵がいるかもしれない状況でリラックス出来る精神性は理解できない。
「気を抜くなよ」
「分かってますって」
うるさいだとか神経質だなどと文句を言われるのが当たり前だったため、葦尾とこんな風に会話をするのは慣れなくて少し変な感じがする。コスモスから目を離さない葦尾を横目で見ながら、気まずい沈黙をどうしたものかと頭を悩ませる。
「知ってます?三輪さん」
「なんだ?」
「白郷さんは作戦室によくコスモスを持ってきてくれたんです」
「…そうか」
急に葦尾の口から白郷さんの名前が出てきて驚いた。なんと返すべきかと迷って相槌のみを返す。葦尾はこちらを向いて笑った。
「誰も植えないような公園に毎年咲くんだって、大きなコスモス畑から風で種が流れてきてるのかもしれないって言ってました。その大きなコスモス畑ってここかもですね!」
その言葉に姉さんとの思い出が花開くように甦る。姉さんも同じことを言っていた。川辺に揺れる色鮮やかなコスモスを見ながら、二人でどこから種が流れてきたのかを言い合った。いつか三門市から離れた遠くの町へ、姉さんと行ける日が来るのだと信じていた。
「ああ…そうだな」
先程まで戸惑っていた気持ちが少しずつ解けていくようだった。きっとこの先もこれからも姉さんのことを忘れることはないだろう。姉さんの死に心を痛めずには生きられないだろう。だが、悲しみだけではないのかもしれないと思えた。少なくとも、大切な人との思い出をなぞりながら目の前の美しいものに穏やかな気持ちを傾けられるのなら、今ここにある現実を少しは大切にしたいと思える気がした。
「姉さんもコスモスが好きだった」
そんな返事が返ってくるとは思わなかったのか、葦尾は瞳を瞬かせて俺をまじまじと見つめた。
「なんだ?」
「あ、いえ」
いつになく複雑そうな顔をする葦尾を不審に思う。その目線が睨んでいるように見えたのか、葦尾は気まずそうに口を開いた。
「…三輪さんってそういう顔も出来るんですね」
夕陽に照らされて橙色に染まる葦尾の表情は、逆光で見ることが出来なかった。そういう顔?なんのことだ?それを問いただそうと口を開いた瞬間に端末が鳴った。マップデータを転送した開発室からの連絡だ。どうやらマップデータを解析してもトリオン反応は探知出来なかったらしい。
「トリオン反応はなかった。帰るぞ」
「はーい」
嬉しそうな返事が返ってきて緊張感のないやつだと呆れつつも、同じように緊張が解けた自分に気付いた。夕陽に照らされながら駅のホームに向かって歩いて行く。昨日よりも夕陽の光が温かいように感じた。

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